「でばた」店主の手記

「わたしとわがし」平戸蔦屋との出会い編

私を知る人は、私と和菓子・お菓子があまり結びつかないようです。

まあ、甘いものをあまり進んで食べる方ではありませんでしたが、記憶をたどると、

幼いころは祖母が作ってくれる「おはぎ」や「ぜんざい」は好きでした。

 

そんな私が和菓子に完全に魅せられてしまったのは、平戸蔦屋との出会いからでした。

蔦屋は創業1502年、もう500年以上の歴史の和菓子屋です。

 

蔦屋の当代は24代目となり、現在まで続いている菓子屋として日本最古ということです。

24代目当主は年齢は私と一つ違いですが、

500年の歴史を背負って立つ、何とも雰囲気のある素敵な男で、

その語り口調の一言一言に引き込まれる魅力を感じるほどです。

 

また蔦屋の本店のその佇まいが素晴らしい。

蔦屋平戸本店の別名は「按針の館」と呼ばれます。

「按針」とは、かの三浦按針(ウィリアム・アダムス)のことです。

三浦按針が晩年平戸で過ごした際に、住居として使用していたと言われる建物を修復して

江戸時代の趣を大切に、蔦屋の店舗として使用しているのです。

 

蔦屋はかつて松浦藩御用達の菓子屋であり、平戸城主の献上菓子を作っておりました。

その様な歴史的な背景もあって、

かつては三浦按針もこの建屋で、蔦屋の菓子を頬張っていたのではあるまいかと考えると何とも感慨深いものがあります。

 

店舗部分はその重厚な建屋の中に、斬新で異彩を放つ白い商品陳列棚が置かれています。

その白い棚の上で、眼をも楽しませる素朴な可愛らしいお菓子。

「可愛らしいお菓子」というのが蔦屋のお菓子の第一印象でした。

 

田舎饅頭を一つ食べてみました・・・・。

な、なんと「可愛い」なんてとんでもない。

こんな上品で、一瞬で幸せな気持ちにさせられたお菓子には、

今まで出会ったことはありませんた。

小さな姿形の中に収められたメッセージは一言では言い表す事なんで不可能なくらい、

正に500年の歴史と職人たちからの心がこの中にびっしりと込められているのでしょう。

決して大げさではなく、心に沁みてきたのです。

 

しかし24代目の蔦屋は歴史と伝統ばかりではありません。

蔦屋としての伝統を守りながら、その時代に合った新しいものも創造し、提案していく。

それが24代目の職人としてのプライドと技術力であり、

また24代目が創造したものが新たな「蔦屋のお菓子」として代々伝わり、やがてそれが伝統となっていくのだと感じました。

その熱意と技術の研鑽の積み重ねで、今の「蔦屋」の看板が生きているのです。

 

あるピアニストが言っていました。

「ベートーヴェンやモーツァルト達も、自分の曲がクラッシックと思って創っていた訳ではない。当時は先鋭の曲として曲を奏でていた。

現代の曲が現代のクラッシック愛好家たちに異端として今は映ったとしても、

それが本物であれば数百年後にはクラッシックと言われるようになる。」と。

蔦屋のお菓子も同じことが言えると思います。

平戸は16世紀に「フィランド」と呼ばれ、日本で一早く西欧の文化が次々と上陸し、西の都と呼ばれるまでに至りました。

運ばれて来たものの中に「砂糖」があり、砂糖が上陸すると共に平戸の菓子文化は豊かに発達し、平戸は日本で初めてのお菓子の島となったのです。

正に平戸の菓子文化は、和菓子としては異端の菓子であり、新しい平戸ならではの菓子文化を築いて行ったのです。

その平戸特有の菓子文化を江戸時代から現代に残されている貴重な書籍が存在します。

平戸藩主松浦家に伝わる“百菓之図”です。

 

“百菓之図”は今から約200年前に平戸藩主松浦凞公が町民の為に作ったお菓子図鑑であり、 100のお菓子を選び、絵描き、レシピも付いたものです。

この百菓之図には単なる和菓子だけでなく、東南アジア、ヨーロッパなどの影響を受けたお菓子も描かれており、国際的な文化交流の跡も垣間見ることのできるユニークなお菓子図鑑です。

この“百菓之図”の中に「蔦屋」の名と共に記録され、現代に伝えられているお菓子があります。

それが「カスドース」です。

カスドースは当時画期的なお菓子でした。

 江戸時代にポルトガルからの宣教師によって伝えられたとされるカスドース非常に贅沢品で、お殿様しか口にすることができませんでしたし、更に明治以降には皇室献上銘菓ともなりました。そんなお菓子が今尚伝えられ、口にすることができるのです。

何百年もの歴史を超えて、しっかりと受け継がれてきた技と文化を是非味わっていただきたく思います。

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