でばたは長崎の食を紹介してきました。

そこで今回は食に関わる器具、「器」陶磁器に注目しました。

陶磁器はここ佐世保周辺にはいくつもの窯元がありますが、

今回取り扱いを始めたのは、「有田焼」と「波佐見焼」です。

 

有田焼は長崎県のお隣、佐賀県有田町周辺の地域の窯元で作られています。

佐世保市からは車で1時間もかからないところです。

有田焼が生まれたのは今から400年以上前のことです。

秀吉の朝鮮出兵の折に連行された韓国人陶工「李参平」が

有田の地に良質の磁石鉱を発見し、ここに窯を築いたのが

日本磁器のあけぼのと伝えられています。

 

その後鍋島藩の有田郷を中心とした陶磁器産業が定着、発展し、

現在の「有田焼」の名声へと続いております。

 

一方波佐見は佐世保市から車で30分ほどの隣町「波佐見町」の窯元で作られています。

波佐見焼は、李参平と同じくして日本に来た「李祐慶」が

李参平が有田の地に窯を築いたとほぼ同じくして

波佐見村で最大級の登り窯を築き、磁器の生産を始めました。

 

それから有田は鍋島藩の支援を受け、徳川家への献上品を作り、

波佐見は大村藩の支援を受け、主に日用食器の生産を続けてきました。

 

1650年代になると、日本の陶磁器は東インド会社の手によってヨーロッパの地へ

輸出され、肥前の陶磁器は「伊万里」の港から積み出され「IMARI」と呼ばれました。

これらは有田の物と一緒に波佐見の物も多く含まれていたようです。

 

また、明治以降になると日本国中に肥前の陶磁器は出回るようになり、

二つの産地の磁器は合わせて「有田焼」として全国に広まりました。

 

ところが2000年頃になって、国内において産地偽装事件から

産地を明確に標記することが指導されるようになり、波佐見は「有田焼」の名称を

使えなくなりました。

そこで波佐見町の窯は長年共に歩んできた「有田」とは別に、新たに「波佐見焼」の名称で別の道を歩むこととなり、「波佐見は波佐見でやろう」と波佐見焼の新たな挑戦がここから始まったのです。

波佐見の町は人々が新たな街づくりに活き活きとされています。その街づくりの意欲に感化されてか、都会からの移住者の方も多く、新たなチャレンジに意欲的に取り組んでおられます。

私は有田も波佐見もどちらも比べようが無く、大好きです。

波佐見焼 筒山太一窯 福田智一作

内ビードロ渕桜 三角茶碗